大切にしたい視点

あらゆることへ誇りを持ち、そして高めたい。

どうも、田中新吾(@Shingo_tna)です。

巷ではタナシンとも呼ばれています。

高い誇りを持っている人はかっこいい。

そして、それに費やした時間に対して後悔がないと思う。

だからあらゆることに対して誇りを持ちたいし、それを高めたい。

最近そう強く思うんです。今日はこの話を少しだけ。

誇りといえばベジータ

「誇り」とは何かを名誉と思う気持ち。

もう少し補足すると、自分や自分の関係する仕事、団体、国などが社会的評価を受け、それを大事に思う気持ちだと思っています。

僕の中で誇りと聞いて真っ先に思い浮かぶのはドランゴンボールのベジータです。

ベジータは自身が戦闘民族サイヤ人であることに対して名誉だと思っていて、それを失わないようにしたいと強く思っています。これが誇りを持っている状態です。

ちなみに、ベジータのそれは「驕り」に見えなくもないですが、驕りとはサイヤ人である自分ではなく、自分は偉いんだとか、威張った気持ちなので誇りと言っている以上は違うんだと思います。

サイヤ人という種族のことを大事に思い、それを失わないように闘うベジータの姿勢はやっぱりかっこいい。

誇りには強弱がある

誇りは感情なので感じるもの。感じなければ誇りを持つことはありません。

そして、弱い誇りもあれば強い誇りもあるという程度の話だと思っています。

つまり、同じ仕事をしていても、それに対して感じた誇りを手放してしまっているひともいれば、誇りは持っているけれど弱いひともいるし、強いひともいるという考え方をしています。

個人的な話をするとぼくは今の仕事に誇りを持っていますが、まだまだこの誇りを強く持つことができると思っているので、相対的に弱いという認識をしています。

仕事を良いと思い、喜びや満足を感じる度に持っている誇りは強くなっていくのだと思っています。

誇りが高ければ後悔は少ない

仕事でもなんでもそうですが、何かに対しての誇りを持っているひとはそれに費やした時間に対して後悔がないと思います。

誇りを手放しているひとよりも、低いけど誇りを持っているひとの方が後悔はないと思うし、低い誇りを持っているひとよりも、高い誇りを持っているひとの方が後悔はないというグラデーションだと思うんです。

誇りは、どんなに小さくても(社会的)評価を受けた時点で感じるもの。だからこそ重要なことは、その時感じた小さな誇りを手放さずに大事に育むことだと思うんです。

後悔のない人生を送るというのは、仕事など日々の取り組みに対して、感じた誇りを持ち続けそれを高めていくことで実現できるのではないだろうか。

最近、こんな仮説を持ち始めました。

さいごに

元ネタのツイートはこちらです。

仮説は検証しなければ意味がないので、あらゆることに誇りを持つこと、そして高めることに意識をもっていきたいと思う今日この頃です。

それでは今日はこの辺で!

ABOUT ME
田中 新吾
マーケティング会社でキャリアを積み、現在はコミュニケーションデザインという領域で活動しているコミュニケーション・ディレクターです。いつもチョコバナナのことばかり考えてます。座右の銘はI'm all ears.

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