コミュニケーション

「伝わる」コミュニケーションのための「超重要事項」を自覚した、という話。

本題にいく前に、

私には寒くなると無性に食べたくなるものがある」という話をしたい。

しょうもないごく個人的な話なのだが、少々お付き合いいただければありがたい限りである。

私には寒くなると無性に食べたくなるものがある。

それが、赤い誘惑、「蒙古タンメン中本(以下、中本)」だ。

中本は、セブンイレブンでの商品展開などで全国にその名を知らしめる「旨辛ラーメン」である(店舗は関東に24店舗)。

野菜を煮込んだスープと秘伝の味噌、そして唐辛子を混ぜ合わせた「味噌タンメン」がベースにあり、そこにオリジナルの「辛子麻婆豆腐」をトッピングした「蒙古タンメン」が店の看板メニューだ。

この辛子麻婆豆腐がとにかく辛い。

しかし、この辛さとスープの旨味に魅了され、熱狂的なファンになっていく人は後を絶たないと聞く。

かくいう私もそのうちの一人である。

私が中本に出会ったのは大学1年の頃。

そして、この出会いを皮切りに、底無し沼にハマってしまったかの如くズブズブと旨辛の世界に沈んでいった。

「生まれ」は上板橋の旧本店

当時、私は東武東上線上板橋駅が最寄りの学習塾でアルバイトをしていた。

その塾から歩いて5分くらいのところに、中本の総本山である「本店」はあった。

現在本店は、上板橋駅北口の目の前にあるが、元々は「城北公園通り沿い」にあり、近くのファミリーマートまで続く長蛇の列も珍しくなかった。

今でも時々あの光景がフラッシュバックする。

私が中本を知るきっかけとなったのは、同塾で働いていた東大のK先輩だった。

K先輩「辛いの好きなら近くにオススメのラーメン屋あるけど行ってみる?」

K先輩「僕は毎週のように行っているんだけど、ハマる人はハマると思う」

私「ぜひ行ってみたいです、連れて行ってください!」

こうして私は、一緒に働いていた友人のTくんと共に、中本の初陣を飾ることになり、私の「生まれ」は「(旧)本店」となった。

生まれ【うまれ】 

初めて中本を食べた店。「新宿生まれの町田育ち」は「新宿店で初めて食べて、町田で味に目覚めた」という事。

とんでもないラーメンに出会ってしまった

私が選んだのは、今では「ラーメン大好き小泉さん」でもお馴染みとなった、中本名物の「北極(辛さ10段階の9)」だった。

北極を初めて目の前にした私には、真紅の色をしたスープの上に鎮座するモヤシ達がやけに旨そうに見えた。

しかし、結論から言うと、

私は、この激辛ラーメンに完璧に初見殺しにあった。

激辛グルメにそこそこ耐性があると自負していたが、イメージを超越するその暴力的な辛さに再三襲撃され、何度も咳き込み、汗に紛れて涙も出た。

意地でなんとか麺は食べ切ったものの、スープなんて飲めたものではなかった。

「ラーメン大好き小泉さん」では、北極のスープまでをも綺麗さっぱり飲み干していたが、これと同じことが出来る人は極めて少ないのではないだろうか。

食後に感想を言おうにも、唇が腫れてヒリヒリしてちゃんと喋れない。

私は「とんでもないラーメンに出会ってしまった」と思った。

一瞬「肛門が燃えた」かと思った

そして、遥かに驚いたのは翌日に起こった「追撃」だった。

朝起きた私はお腹に激痛を感じ、否応なしにトイレに駆け込んだ。

辛いものを食べた日の翌日はお腹を下しやすい」という経験則はあったが、今までのそれとは一味も二味も違った。

一瞬「肛門が燃えた」かと思った。

この感覚、一度でも「北極」を食べたことがある人なら共振していただけるのではないだろうか。

お尻が痛くなる仕組み」については以下に詳しい。

なぜ?激辛フードでお尻が痛くなるワケ

唐辛子の辛味はカプサイシンという成分による。

カプサイシンは全身の感覚神経に作用して焼けつくような痛みを生じさせる。

すなわち「舌に限らず」皮膚だろうが食道だろうが、カプサイシンに触れると「痛い」と感じる。

 特に舌で触れた場合、この痛みが「辛い」と知覚される。

「辛いというか痛い」という感想は、比喩ではなくまさにその通りなのだ。

 このカプサイシンは、人間にとって栄養になる物質ではないので、そのまま尿や便となって排出される。

トイレでお尻が痛むのは、カプサイシンが腸を通っているからだ。

 この時、内臓の内側には、痛みを感じる「痛点」という組織がとても少ないので、体の内側にあるときは痛みを感じない。

しかし、肛門は皮膚であり「痛点」が多いため、口に入れて以来久しぶりの痛みの感覚が訪れるのだ。

映画「ファンタスティックフォー」から受けたインスピレーション

時を同じく、友人のTくんも「肛門が燃えるような激痛」に見舞われていた。

「とんでもない」

「マジやばいよ」

と彼は私に激しく主張してきた。

痛みの度合いを共通感覚として持ち合わせた私たちは、

後日、中本を食べた翌日にやってくる「肛門が燃えるような痛さ」のことを「フレイムオォン!」と称した。

「フレイムオォン!」は、映画「ファンタスティックフォー(以下、F4)」の中に登場する超能力者「ヒューマントーチ」の掛け声で、

トーチは「フレイムオォン!」と叫ぶことで、火で全身を包み、上空を飛び回り、敵と闘う。

参照:ファンタスティックフォーってヒューマントーチだけ強すぎないか?

その時の私たちにとって、「肛門が燃えるような痛さ」を表現するのに「フレイムオォン!」は最もフィットしたのだ。

「ちょっと今フレイムオォン!なので、15分くらい遅れるすまん」

「今朝もあったよフレイムオォン!」

という具合に、私たちのコミュニケーションに「フレイムオォン!」は自然に取り込まれていった。

「伝わる」コミュニケーションのための「超重要事項」を自覚したコミュニケーション体験について

食後に必ず「フレイムオォン!」がやってくるにもかかわらず、それでも私は北極を、そして中本を、性懲りもなく求め続けた。

社会人になってからも中本を食べ続け、新宿、高田馬場、池袋、吉祥寺、渋谷、目黒、上野など、店舗によるメニューの違いも楽しむようになっていた(新宿のインド丼、吉祥寺飯など)。

概算だが、これまでの総出費額は100万円に近い。

そして、

高田馬場店で北極を食べていた時、中本を展開する誠フードサービスの社長「白根誠さん」に偶然出会し、

「いつもありがとうね」と声をかけられ、右肩を「ポン」と叩かれた時は、「もうこの世界から出ることはできない」と心から思った。

参照:蒙古タンメン中本 | 店主挨拶

私は自分が良いと思ったものに関しては、ここぞとばかりに薦めるという性分で、周囲の人たちにも「北極」と「中本」をよく薦めていた。

「食べたい!」と思った時に側に誰かがいれば十中八九誘い、折につけ食後の「肛門が燃える」ような痛みのことを「フレイムオォン!」と呼んでいることについても説いた。

その時、友人のTくんと称するようになった「フレイムオォン!」が、思いの外「伝わる」のが嬉しかった

中本もF4も、双方を知っている人にはよく「伝わる」。

元々はF4を知らずとも、中本での共通体験があるためか少しF4のことを説明すれば「伝わる」。

思い返せば、似たようなコミュニケーションの成功体験は小さな頃からたくさん経験してきた。

・「マグナムトルネード」が相手に「伝わる」のは、その相手が爆走兄弟「レッツ&ゴー」を知っていたから

・「霊丸(レイガン)」の真似をしてふざけあえたのも、相手が「幽☆遊☆白書」を漫画やアニメで知っていたから

しかし私は、「フレイムオォン!」の件で、「伝わる」コミュニケーションのための「超重要事項」を自覚したのだった。

人間が話ができるのは、共通テキストの数による

では、「伝わる」コミュニケーションのための「超重要事項」とは何なのか?

それは、一言でいえば「人間が話ができるのは、共通テキストの数による」ということだ。

この「共通テキスト」というのは、ライフネット生命創業者で立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんの言語化で、私はこの言葉に出会った瞬間、ストンと腹落ちした。

出口さんは以前、対談記事の中で「共通テキスト」について以下のように述べていた。

出口:これは簡単で、人間と人間のコミュニケーションは、基本的には共通テキストの数の問題ですよね。

ライフネット生命はKDDIさんと業務提携しています。

KDDIさんのテレビコマーシャルは、浦島太郎、金太郎、桃太郎ですよね。

おもしろいでしょう?

なんでおもしろいかと言えば、僕らが浦島太郎も金太郎も桃太郎も知っているからですよね。

あれ、外国人に見せたらぜんぜんおもしろくないと思いますよ。

これが共通テキストの問題です。

人間が話ができるのは、共通テキストの数によるということが、ほぼ解明されています。

だから昔、(ヘンリー・アルフレッド・)キッシンジャーが言ったことですが、ある国の人と仲良くなりたければ、その国の地理や歴史をきちんと勉強したら共通テキストが増えるわけですね。

浦島太郎の物語は、共通テキストの問題を象徴しています。

帰ってきたら、友達が誰もいない。

同世代の知っている人が誰もいないということは、同じ日本語を話していても、共通テキストがないんですよね。

そうしたら、コミュニケーションが成り立たないですよね。

参考:グローバルに人とつながるには?ライフネット出口会長「コミュニケーションは“共通テキストの数”」

思うに、この「人間が話ができるのは、共通テキストの数による」は出口さんが残されている数々の言葉の中でも真に「金言」だ。

そして私は、これこそが「伝わる」コミュニケーションにおける「超重要事項」だとして捉えている。

「フレイムオォン!」という閉じた関係性の中で生まれた言葉が、外部にも伝わっていったのは「蒙古タンメン中本」という共通テキスト、「肛門が燃えるような痛さ」という共通テキスト、「F4」という共通テキストが相手との間にあった(あるいは作られた)からだ。

「伝える」ことはできても、「伝わる」のが本当に難しい

「コミュニケーションの本質とは一体何か?」

これは思うに、その核となるのは「伝わる」ことだろう。

はっきり言って「伝える」ことは誰にでもできる。

話せばいいし、聞かせればいいし、見せればいい。

しかし、それでは相手は動かず、変化もせず、感動もしないし、感化もされない。

コミュニケーションは、「伝える」ことはできても「伝わる」のが本当に難しいものなのだ

だからこそ、結果から話す、解釈と事実を分ける、相手の言っていることを言い換えて確認する、などの様々なコミュニケーションメソッドが開発されてきた。

以前読んだ記事には、様々にあるコミュニケーションメソッドよりも何よりも、「困難な状況においても抵抗せずに受け入れようとする姿勢(アクセプタンス(受容性))を作ること」こそが重要だと記されていた。

困難な状況においても抵抗せずに受け入れようとする姿勢は、心理学では「アクセプタンス(受容性)」とも言われています。

この、アクセプタンスを作ることこそ、人を動かすことを目的とするコミュニケーションにおいて、どんなコミュニケーションテクを身に付けることよりも重要だと私は考えます。

これも確かにその通りだろう。

しかし、私が思うに、いくらアクセプタンスを作ることに成功したとしても、相手との間に「共通テキスト」が存在しない、あるいは少ない状況では、「伝わる」コミュニケーションは一向に成立しない。

むしろ、「共通テキストの数の多さ」こそ相手の中にアクセプタンスを作るのではないだろうか。

生きていると「なんで伝わらないんだ!」と思うことは誰しもある。

でも、それはほとんどの場合「共通テキストの数」の問題だろう。

だから、その関係性において、「共通テキスト」が無いのであれば作ればいいし、足りないのではあれば補えばいい。

「伝わる」コミュニケーションはこうやって築き上げていくものだと私は思う。

したがって「伝わる」までに時間がかかるときも当然ある。

超重要事項だと思うのでもう一度。

人間が話ができるのは、共通テキストの数による

実はここ数年の間に、中本に行く機会も、北極を食べる機会も、ずいぶん減ってしまっている(体調のこととかも色々あって)。

この先も、昔のような付き合い方はきっと難しいだろう。

でも、その味の虜になった一人のファンとして、中本とは細くても長いお付き合いをしていきたい、そんな風に思っている。

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【著者プロフィール】

田中 新吾

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主な仕事は「バリューディレクション」で、中小企業や地方自治体などをクライアントに、「商品開発」と「集客」のプロジェクト運営を得意としています。

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