自分を動かす

身銭を切らない連中とは垣根をつくり、「身銭を切っている自分と好みの似た個人」をとことん「マネ」しようと思う。

学生の頃にお世話になった「塾長」は、私の人生に大きな影響を与えてくれた。

今思えば、塾長はこの「目的の与え方」の取り扱いにとても長けていたのだ。

参照:「目的意識を持ちなさい」と言わずに、人に「目的意識を持ちたい」と思わせるためにはどうすればいいのか。

「目的意識」をはじめ、塾長から教わったことは確実に活きている実感がある。

しかし、教えてもらった物事の中にはなかなか腑に落ちないものもあった。

その代表が、

俺の考えなんてないよ。所詮、俺の考えは結局色んな人の考えの集合体だから

である。

はじめて聞いた時、「それはちょっと無責任じゃない?」と思ったのは記憶にたしかで、当時の私にはなかなか理解できなかったことだった。

ところが30代の半ばになり、当時の塾長の年齢に近づきつつある今の私の考えは、奇しくも塾長のそれと近しいものになった。

人はそもそも他者から学ぶようにできている

その当時の私は、「マネをする」という言葉に対して「パクリ」など、どこかネガティブな意味合いを感じていた。

もうすこし丁寧に言えば、誰かを意識し、真似をしていることを他人に知られた途端に急に恥ずかしくなったり、それ自体を否定した。

今思うに、これが作用して「所詮、色んな考え方の集合体だから」と言い切る塾長に対して、不寛容な態度をとってしまっていたのだ。

ところが、人生経験を積み、読んだ本も増え、ようやくその意味を理解し寛容できるようになった今では、自分を形成している考えの中でも重要な部分を占める。

でも実は塾長のようにキッパリと言い切れるようになったのはつい最近のことである。

この背景にあるのは「社会的学習」への理解だ。

社会的学習とは何か。

ターリー・シャーロットは著書の中で次のように述べている。

人間の脳は、社会との関わりの中から知識を獲得するように設計されている。

最も価値のある商品の見分け方から、ミカンの皮の剥き方に至るまで、ほぼすべての事柄を他人の行動を観察することによって学んでいるのだ。

模倣し、吸収し、採用するという一連の作業を、私たちは意識せず行うことが多い。

こうした仕組みの利点は、その環境における自分自身の限られた経験からだけでなく、多くの人々の経験から得られた情報や技術を拝借できるところにある。

要するに、ほとんど無意識だから気づきにくいだけで、「人は生まれながらにして周囲の人から学ぶ性質を身につけている」ということなのだ。

これを受け、

「いやいや私はそんなことはない」

「私は普通の人よりも影響を受けにくい」

と主張する人も中にはいるかもしれない。

しかし、ターリー・シャーロットは統計から考えてもそれは無理な話だと述べ、したのようにその仕組みを説明する。

実際に多くの人が、自分は他とは異なる存在でありたいと願っている。

自分が他人の好みによって形成されていると考えるのは不愉快なのだ。

個性的でありたいという意識的な思いは、無意識的な社会的学習能力と相まって、私たちの目を同じ「個性的な」選択肢へと向けさせる。

結局、「個性的でありたい」と願う意識が、そもそも私たちに備わっている「社会的学習」への理解を妨げているだけなのだ。

私たちは生まれた時から「社会的学習」によって、常に誰かから真似るようにプログラムが埋め込まれている。

そして、どうあがいたとしてもこの仕組みが備わっている生き物である以上、「所詮、色んな考え方の集合体」であることからは誰も脱出することはできない。

したがって、ものまね芸人生活40年、現在のネタ数は500人、現在も進化し続けるものまね界のレジェンドコロッケ氏は、「マネることは人生そのもの」だというが、これは真に慧眼と言えるのだ。

「好みの似た個人」をマネるのが一番パフォーマンスが上がる

では誰かれ構わずマネればいいのか。

もちろんそういうわけではない。

私たちの時間は限られている。マネる相手は意思を持って選ぶべきだ。

真似る相手を選ぶ際、南デンマーク大学で14,000人を対象に行われた「マネとパフォーマンスの関係性」を調べた最先端研究が役に立つ。

それは、観る映画を決めるとき、周囲の誰の情報をもとにするかというもので、

①「自分と好みの似た個人のマネをする場合」

②「多くの人が選択するものをマネする場合」

③「似た好みの人たちの平均をマネする場合」

④「好みの似た人たちの平均のマネをする場合」

⑤「好みの似た多くの人たちの集団を参考にして決断する場合」

⑥「好みの似た人たちが選んだいくつかの選択肢を提示され、そこから自分の好みを足して決める場合」

⑦「ランダムに選ばれた人の趣向を反映したものを参加者の趣向予測として提示した場合」

とを比べたものである。

この結果、①「好みの似た個人」の選択をマネる場合が一番パフォーマンスが良いことが明らかになったという。

さらに、同じく南デンマーク大学の別の研究では「優秀な人ほど自分の好みに似た人を素早く見つけ、その意見を参考にしてさっと決断する」という報告が出ている。

一方、「さっと決断できない人」は、「世間の平均意見」に沿ってものごとを決める傾向があるという結果ということだ。

私にもこれは思うところがある。

私は「」を選ぶ際に「自分の好みに合った人(レビュアー)」を何人かフォローしている。それは、特にまだ読んだことのない本を選ぶときにレビュアーの方々の意見が非常に参考になるからだ。

そして、実際に読んでみるとやはり好みが似ていることを痛感することが多く、より効率的で有効な判断ができていることを実感する。

自分の好みの人をマネをする」ことはパフォーマンスが上がったりものごとが上達するだけでなく、「決断の早さにもつながる」のだ。

「マネしてはいけない」を積み重ねる

成功の確率をあげるためには、失敗を重ねる中で「してはいけないこと」を学習することこそが定石だ。

これはどういうことか。

商品が売れるか売れないかのように、成功は「環境」や「運」に左右される部分が大きい。したがって、「こうしたら成功する」ということを断言することは難しい。

しかし、「こうしてはいけない」ことを断言することはある程度可能だ。

たとえば、商品やブランドのネーミングをする場合、ネーミングから感じる「違和感」が小さすぎると目にも留まらぬ早さでスルーされてしまい、それが大きすぎるとすぐに飽きられてしまう。

ネーミングにおいて違和感は、「小さすぎても大きすぎてもいけない」。

このように成功とは、「こうしてはいけない」という失敗を少しづつ積み上げていくことで成功する確率を高めていく作業の先にこそある。

身銭を切れ」の著者、ナシーム・ニコラス・タレブはこれを「否定の道」とネーミングしている。

「否定の道」とは、何が正しいかよりも何が間違っているかのほうが明瞭であるという原則。

言い換えれば、知識は引き算によって膨らんでいくという原則。

また、何がおかしいのかを理解するほうがその解決策を見つけるよりも易しいともいえる。

これは当然、「マネをする」ことにおいても同一だ。

先のデンマーク大学の先端研究もまさに、「こうしてはいけない」を明々白白にすることで、もっともパフォーマンスが上がるマネ方を導出した。

身銭を切らない連中とは「垣根」をつくる

加えて、「身銭を切らない連中」もマネてはならない。

「身銭を切る」とは「実世界に対してリスクを背負い、良い結果と悪い結果のどちらに対しても、その報いを受ける」ということである。

思うに、無意識的に社会的学習をしているならばこそ、私たちは身銭を切らない連中とはしっかりと「垣根」をつくるべき。

なぜなら「身銭を切らないリスク転嫁はシステムを破綻させる」からである。

「身銭を切れ」では、いかに「身銭を切らない連中」がこの社会にとって害であるかが渾々と述べられている。

・身銭を切らない連中の設計した物事は、どんどん複雑になる傾向がある(そして、最終的に崩壊する)。

・身銭を切っていないと、たいてい愚鈍になる。

・自分の意見に従ってリスクを冒さない人間は、何の価値もない。

・身銭を切ればうわべは重要でなくなり、身銭を切らないとどんどんでたらめが膨らんでいく。

・身銭を切らない連中は物事を複雑化させて、人を食い物にする。

結局、こうした「身銭を切らない連中」のリスク転嫁によって、爆発的なリスクが銀行内部のシステムに累積した結果、2008年米リーマン・ブラザーズは吹っ飛んだ。

つまり、この社会においては、タレブのいう「リスクを負わぬ者、意思決定にかかわるべからず」こそ大原則で、意思決定に関わる権力者ほど身銭を切るべきなのだ。

逃げ腰の政治家、似非起業家、貴族ぶっている連中、干渉屋、口だけで態度を示さない人、「失敗の責任を取らない権力者」ほど害悪はない。

タレブは「よい垣根がよい隣人を作る」と述べているが、こうした連中とはただちに「垣根」をつくるべきなのだ。

複雑系について研究する物理学者のヤニア・バーヤムは、「よい垣根がよい隣人を作る」ことをきわめて説得力のある形で証明した。

そうでもしなければ、私たちは社会的学習によって彼らから「身銭を切らない」ことを無意識的に「マネ」てしまうだろう。

というわけで、

私は、身銭を切らない連中とは垣根をつくり、「身銭を切っている自分と好みの似た個人」をとことん「マネ」しようと思う。

以上、何かの参考になれば。

Photo by Karim MANJRA on Unsplash

【関連記事】

「なぜ同じ人間なのにこんなにも身体の動きが違うのか?」という疑問がようやく解けた。

これからの時代に、真に関係性をつくるのは「オンラインセンス」という話。

「相手の立場に立って考える」は、「相手の関心に関心を持つ」ことで実践できる、という話。

【著者プロフィール】

SNSでは現場と文献からの学びを発信してます!

○筆者のTwitterアカウント▶︎田中新吾

○筆者のnoteアカウント▶︎田中新吾

○筆者のHTML名刺▶︎田中新吾

ABOUT ME
田中 新吾
現場と文献からの学びを発信してます。 価値の定義(ValueDesign)× 価値の見える化(ValueCreative)× 価値を届けること(ValueMarketing)が主なしごと。 視点をつくるWebメディア「Point of View」の執筆者/管理者。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です