自分を動かす

本当を求め過ぎるのはしょうもない。

どうも、田中新吾(@Shingo_tna)です。

巷ではタナシンとも呼ばれています。

今回は「本当」について考えていることを書いてみようと思います。

先に言っておくと「本当」の捉え方が最近ガラっと変わったんですよね。

世の中に出回る本当は誰かによって信じられているもの

ひとは自分が信じたいものを信じます。そして、信じることで自分にとっての本当をつくる生き物だと思います。

僕もよく使ってしまうし、Twitter上でも時々見かけるけれど「本当にそう思うんです」はその人にとっての本当であって、他人からすれば本当でもなんでもありません。

でも、誰かの「本当にそう思うんです」を聞いた誰かが信じれば、信じたそのひとにとって本当のことになる。

「本当にそう思うんです」の真意は、本当かどうかはわからないけれど自分はそれを信じているということの表れだと僕は考えています。自分は確信しているし、他の誰かにも信じてもらいたいからついつい使ってしまう。

結局、世の中に出回る「本当」は、ほとんどのことが誰かによって勝手に信じられているものだと思うんです。だから、他の誰かがいう本当のことは本当かどうかなんて分からないというのが本質。本当というのは人が作り出した幻想なんです。多分。

本当を求め過ぎるのはしょうもない

「本当の自分」という言葉が世の中でしばしば使われるように、小説や映画の中でも、現実世界のあちこちでも、いつだって人は「本当」を求めていると思うんです。

かく言う僕も、何か行動するときの理由や自分の気持ちに対しては、ずっと「本当」がどこかに存在するものだと思っていました。

就活をする時には「本当に自分がやりたいことは何なんだろうか?」と考えていたし、性格や行動が読めない相手に対しては「あの人の本当の姿はどれ?」と考えていたし、自己矛盾を感じたときには「自分の本当の気持ちはどこにあるのか?」というように、

とにかく「本当」がどこかにあると信じて疑うことはなかった。本当なんてものは、そもそも矛盾だらけのこの世に中には存在しないのかもしれないのにです。

そうした時期を経て、32歳の今ようやく「本当というのは結局誰かが信じたものにすぎない」ということに気付きました。だいぶ時間がかかりましたね・・・

そんな今の僕が大切にしているのは「本当を求め過ぎるのはしょうもない」ということ。

今までは本当のことを求め過ぎていたけれど、人間の意識ってやっぱり「変わる時は急に変わるんだなあ」と改めて感じているところです。

さいごに

どうしても人は「本当のことを知らなければ!」と思いがちですが、人生そんなことはないはずなんです。例えば、本当のことを知らなくたって、面白いものを知っていれば人生は楽しくなります。

だから、今は本当を探すよりもずっと、目の前のことを面白がれるかどうかの方が重要なのではないかと考えています。

参考記事:面白がるから面白い。

参考記事:暇つぶしは自らの手で作る時代。

今回のブログの元になっているツイート。

ここまで読んでくださありありがとうございました!

この記事が何かしらの参考になれば幸いです。それでは今日はこの辺で。

ABOUT ME
田中 新吾
1986年生まれ。元マーケター。現在は、中小企業のコミュニケーションのクオリティや導線をデザインする「コミュニケーション・ディレクター」が主戦場。webメディア『Point of View』の執筆者/管理人。白湯を愛するサユラー。

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