自分を動かす

「思い込み」が壊されたときに、「気持ちがいい」と感じるのはなぜか、という話。

最近、「歴史の「普通」ってなんですか?」という本を読んでいた。

この本は、イタリア生まれの庶民文化史の研究者が、日本史の「当たり前と思われているウソっぽさ」をシニカルに暴いてゆく内容となっているのだが、下調べがよくされていて「なるほど」と膝を打つ部分が多い。

例えば、「恵方巻」という文化について筆者は以下のように述べている。

伝統とされている行為や文化には、じつは案外最近はじまったものもあります。

過去の人たちが短期間、もしくはごく少人数でやっていた例を引き合いに出し、さも歴史的な伝統であるかのように喧伝し、商業的な利益を得ようとする動きもあります

この例として有名なのが、恵方巻。

節分にその年の恵方とされる方向を向いて太巻きをかじるという風習は、もともと大阪の船場(せんば)地区だけで行われていた伝統行事であったものを、スシや海苔の消費を増やしたい寿司店や海苔製品の組合がみんなでやろうと提唱し、コンビニチェーンが乗っかったことで全国区へ広がりました。

ところが、歴史文化の研究者が調べたところ、船場にそんな伝統が根付いていた様子はないとのこと。

地元在住の老人も、そんな習慣があったことを知らないといいます。

文献などからかろうじて、船場の数軒の商家だけがやっていた、どマイナーな習慣だったという事実までは確認できたようです。

存在したことは確かだから、捏造ではないものの、恵方巻の習慣は、家族のプライベートな伝統に過ぎなかったのです。

日本の伝統食文化でないどころか、大阪の伝統ですらない。

たとえていうなら、毎週日曜はお父さんがカレーを作るのだ、みたいな「わが家の習慣」が商業的な戦略によって全国に広まってしまったようなのです。

曰く、「伝統」という言葉は、大量消費社会になって新しいものが比較的ありふれるようになってから使われはじめたものだという。

とめどなく新製品を欲しがる資本主義への「免罪符」として、古めかしい伝統文化をありがたがっているだけではないかと。

「伝統的〜」と言ってる人たちが守ってるものは、意外と数十年の価値観だったりするというのはザラで、中には「恵方巻」のように、フェイクな伝統も多数存在しているというから驚く。

つまり、「伝統を守る」という崇高な使命が美談であるためには条件がある。

その条件とは「守るべき伝統がフェイクでないこと」だ。

古くからの伝統が失われようとしている」などと耳にすれば、文明の墜落の片棒を担いでいるようなうしろめたさを感じ、「日本の伝統は守るべきだ」となりがちだが、このような盲目的な「思い込み」はあってはならない。

日本の伝統なるものは、だれかによって捏造されたフェイクな伝統ではないのか。権威主義にゴリ押しされて鵜呑みにすることなく、一つ一つ謙虚に再検討する作業が必要だ、と筆者はいう。

「いやはやおっしゃる通りだ」

私の中にあった、「日本の伝統はあまねく守るべきだ」といった「思い込み」は、この本によって木っ端微塵に粉砕された。

伝統だから守らなきゃいけないなんて義務はどこにもなく、伝統かどうかという基準に関係なく、いいものは続ければいいし嫌だったらやめる勇気持つべきなのだ。

それにしても私は思う。

「思い込み」が壊されていくというのは、「気持ちがいい」ものだなと。

登場人物の「思い込み」が壊されていくコンテンツは観ていて気持ちがいい

思うに、少し前に読んだ増田さん(はてな匿名ダイアリーの書き手)の記事を面白く感じたのも、「思い込み」が関係する。

無職中年男が若くてきれいな女性に失望した話

これは、女性にはまるで縁がない無職中年の独身男性が「レンタル彼女」を利用したという話である。

読み進めていたら、利用したこともない「レンタル彼女」というサービスを追体験しているような感覚になった。

私の感情の針が一番振れたのはこの記事の末尾だ。

街中で若くてきれいな女性を見かけると、彼女らは流行に敏感で人々の注目を集め人づき合いが得意で交友関係が広く時代の先端をいく陽向の存在であり、それに対し自分は人づき合いが苦手で時代に取り残され誰にも注目されず何の価値もない日陰者で、彼女らの視界にも止まらない澱んだ空気のような存在に感じていた。

しかしみゆさんと話してみて、外見はいくらきれいで立派でも、中身は至って普通なんだと気づいた。私は劣等感など感じることはなかったのだ

これはつまり、「若くてきれいな女性」に対しての激しい増田さんの「思い込み」がぶち壊された瞬間である。

別の話にはなるのだが、2016年に放送された「クオリディアコード」というテレビアニメ(全12話、OPは今鬼滅の刃で人気絶頂のLiSA)を、ふたたび視聴している。

クオリディアコードは、宇宙から飛来した謎の生物「アンノウン」と人類の戦いが描かれており、その舞台は東京・神奈川・千葉で、それぞれのキャラや勢力が存在している、といったいわゆるSFアニメだ。

ネタバレになるので詳しくは割愛するが、第9話を「境目」に物語は大きく動いていく。

この「境目」になっているのも、登場人物たちの「思い込み」がぶち壊される瞬間だ。

しかし、増田さんの記事にしても、クオリディアコードにしても、登場人物の「思い込み」が壊れていくのを観ているのは、なんとも「気持ちがいい」。

もしかすると、旨いものを食べることよりも、絶景を観ることよりも、「思い込みをぶち壊す」ことをしたり、「誰かの思い込みがぶち壊される」のを観たりする方がより気持ちがいいことなのかもしれない。

「DMN」が強く働きすぎると、自分のこと以外何も考えられなくなってしまう

話は変わるが、私たちには「デフォルトモードネットワーク(以下、DMN)」という、「自分に対する意識を強めると強く作用する脳内ネットワーク」が存在している。

例えば、研究者から形容詞のリストを渡されて、

「どれがあなたに当てはまりますか?」

と聞かれると「DMNが強く働く」ことが確認されている。

DMNについては、「幻覚剤は役に立つのか」という本に詳しく書かれていた。

DMNは、2001年にワシントン大学の神経学者マーカス・レイクルが、脳画像化技術を用いた脳研究の副産物として発見した。

DMNは、「脳の中にある様々な情報」を「自己という認知」と紐付けているネットワークの中心部として作用している。

誰もがなんとなく「私はだいたいこんな感じの人間」という認知を持っているが、この自己認知(アイデンティティ)を形作っている基盤となっているのがDMNなのだ。

DMNは、外界からの注意喚起があるたびに活性化するの「アテンショナル・ネットワーク(AN)」とシーソーの関係にあり、一方が活性化しているとき他方は沈静化し、逆もまたそうなる。

DMNが最も活性化するのは、外界の知覚から離れ、「メタ認知」のプロセスを行っているときだ。

「メタ認知」のプロセスとは、

・内省

・心の中のタイムトラベル

・精神的な建築(たとえば自己や自我の建築)

・道徳的な理由づけ

・人の気持ちになってみる

などである。

このように書くと、DMNは人間を形成するためのポジティブで素晴らしいものに思える。ところが、DMNはネガティブな方面にも作用することがある。

DMNが強く働きすぎると「自分のこと以外何も考えられなくなってしまう」のだ。

例えば、DMNが過剰に働きすぎて、自意識が「悲観的な事」に囚われ続けてしまい、他の事が考えられなくなってしまうと、「うつ病」になってしまう。

つまり、「うつ病」の主原因は「DMNの暴走」なのだ。

「思い込み」が壊されたときに「とっても気持ちがいい」と感じるのは、「DMN」がオフラインになるからだった

で、この強く働きすぎたDMNの作用を緩めるのに「幻覚剤が効く」という事実が、科学的な実証とともに「幻覚剤は役に立つのか」という本の中で明らかにされている。

「治療抵抗性うつ病患者(少なくとも2種類の治療を試したが効果がなかった患者)」に幻覚剤を投与すると、投与から1週間後、被験者全員に症状の改善が見られたというのだから、魂消た。

そしてなんと、幻覚剤以外にも、下のような様々な方法で、DMNの作用は緩めることができる可能性が高いという。

・瞑想

・呼吸法

・感覚遮断

・断食

・祈祷

・圧倒的なショック体験

・エクストリームスポーツ

・臨死体験 など

そして、どのような形で起きるにせよ、とにかくDMNの作用が緩まり、ネットワークが「オフラインになった時、

私たちは「思いがけない意識状態(身体的な一体感あるいは陶酔感、それに勝るとも劣らない全体感、エクスタシーのひととき)」を体験するのだという。

かのスティーブ・ジョブズが、「LSD(幻覚剤の一種)の体験は人生で最も重要な経験の1つ」と話したことは知られているが、もしかすると、ジョブズの類稀な創造性は、幻覚剤の投与による「DMNの作用の緩まり」が大きく影響していたのかもしれない。

サウナの究極の快感と言われる「ととのう」のメカニズムも、きっとこれだろう。

そして、私が物凄く納得したのは、

「思い込み」は、DMNが強く結びついてできたものであり、

「思い込み」が壊された時に「気持ちがいい」と感じていたのは、DMNの作用が緩まり、ネットワークがオフラインになったから、ということだ。

「思い込み」が壊されるのを、「圧倒的なショック体験」や「臨死体験」だと捉えれば尚更、ストンと腹に落ちる。

以上のように、「思い込み」が壊されたとき、「気持ちがいい」と感じる理由がはっきりと分かった今、「思い込み」を壊すことを躊躇する意味はどこにも見当たらない。

したがって、

DMNの作用を緩めることになって、気持ちがいいことだし、要らぬ思い込みはこれから先もどんどんぶち壊していこう

私はこう決意を新たにしたのであった。

【著者プロフィール】

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田中 新吾
現場と文献からの学びを発信してます。 価値の定義(ValueDesign)× 価値の見える化(ValueCreative)× 価値を届けること(ValueMarketing)が主なしごと。 視点をつくるWebメディア「Point of View」の執筆者/管理者。

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