自分を動かす

自分一人でも製造できる「幸せ」と、自分一人では製造できない「幸せ」の取り扱い方について。

最初に、忘れもしない「初受注」をした時の話をしたいと思う。

入社1年目。

私の「初受注」は大手鉄鋼メーカーのグループ企業D社からの仕事だった。

私が入社したマーケティングコンサル会社(前職)は、新人には「電話営業」の経験を積ませるのが通例で、先輩の業務のサポートと同行以外の時間はほぼ電話営業に費やしていた。

D社はこの電話営業から私がアポイントを取得した会社の一つであった。

取得したアポイントには基本上長や先輩に同行をしてもらうことが新人の私たちのルールだったが、D社には誰も都合がつかずに特例で私が一人で訪問することとなった。

ぎこちなく会社案内とサービス案内を済ませた後、ヒアリングをしていると担当者から、

「御社はパーテーション(衝立)の手配はできますか?」

「今度九州で得意先を集めた展示会があってちょうど手配をしようとしていたところだったんです」

という「具体的なニーズ」が出てきた。

聴くと、周年パーティー、株主総会、展示会のような企業イベントのプロデュースも多くの実績があったので「小さな仕事かもしれないけど任せられるなら安心だ」と思ったという。

しかし半信半疑な私は、

「正直言うと、レンタルだけなら弊社よりも安く済ませられるところはありますがそれでもいいんですか?」

と尋ね返した。

すると担当者から、

「それでも目が飛び出るほど高いとは思わないので、今後の取り引きも見据えてお願いできたら助かります」と返ってきた。

断る理由を感じなかった私は「上長と相談してすぐにご連絡させていただきます」と伝え、D社を出た。

帰社後、上長に事情を伝えたところ「すぐに見積もり書を出して」といわれ、D社に見積もり書を提出すると、間も無く取り引きが成立した。

これが忘れもしない「初受注」の瞬間だった。

その内容は「展示会用のパーテションの手配(しかも場所は九州)」。

取引額は10万円弱。

私のいた会社は、数百万〜数千万円規模の仕事が主であったのと、レンタル会社に頼めば済むような「パーテーションの手配」という内容もあって、全社発表があった時は顔を真っ赤にするくらい恥ずかしかった。

それでも、紛れもなくゼロからつくった取引きであり、新入社員にして会社に少しでも貢献できた気がした私は「大きな幸せ」を感じていたのだ。

幸せとは「変化度」である

このような経験などがあって、私は「幸せとは変化度である」という定義を持つようになった。

例えば、

・テストで常に100点を取っている人よりも、普段50点だけど今回は85点だったという人の方が多くの「幸せ」を感じる

・常にバズっている人よりも、普段まったくバズらない人がたまにバズる方が多くの「幸せ」を感じる

・美しい紅葉が毎日観れる場所にいる人よりも、普段都会のコンクリートジャングルで過ごしている人が紅葉を観る方が、多くの「幸せ」を感じる

という具合だ。

要するに、自分にとって「プラスの変化」が大きければ大きいほど「幸せ」を感じるといった理屈である。

最近見かけたしたのツイートは、「ダイエット」はうまくいけば変化が大きく、それによって得られる幸せが大きい、という例だ。

私の「初受注」の経験をこれに当てはめると、

新入社員で1社も取引先がいなかった」という状態から、「人生はじめて取引先をつくることができた」という状態への大きな「プラスの変化」が、私に大きな「幸せ」をもたらしていた、ということである。

お金はモノよりも体験に突っ込んだ方が幸せになれる

といった一般論においても、体験にお金を投資した時の方が「変化」が大きいため「幸せ」を感じることができる確率が高い、という理解だ。

生存が脅かされず、ある程度社会が豊かになってしまった今の時代、「他者との比較」こそが「生きづらさの源泉」となっている。

これに関しても、他者と比較している間というのは、自分自身に「少しもプラスの変化が起きていないから、幸せでいられない」という解釈だ。

「小さな幸せ」は、自分一人でいくらでも製造できる

私はこのような考え方にしたがって、意図的に「プラスの変化」をつくることを意識して生活をするようにしている。

なぜそうしているのか?

その理由は、機嫌がいいこと、親切なこと、寛大なこと、丁寧なこと、「幸せな気持ち」はつねに自分の外に現われるからに尽きる。

思うに、自分が「幸せ」であるから、他人にも「優しく」できるというのはこの世の真理だ

自分一人で「大きなプラスの変化(による大きな幸せ)」を生じさせるのは困難だが、個人的に思うに「小さなプラスの変化(による小さな幸せ)」はいくらでも製造可能だ。

例えば、「今日やろうと思ったタスクをしっかりやる(タスクの完了)」は、「小さなプラスの変化」の代表格である。

やろうと思った時点ではまだプラスでもなんでもない。

しかし、タスクをしっかり完了することができればプラスの変化が生まれ「幸せ」を感じることができる。

だからこそ、目の前のタスクに「注意」を向けることが「小さなプラスの変化(による小さな幸せ)」を製造する上で不可欠だ

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの行動科学教授のポール・ドーランは、行動科学の知見を総動員させた著書の中で、「幸せの製造は注意をどう割り振るかが重要だ」と述べている。

幸福の製造プロセスとは、あなたの注意を割り振る(配分する)作業のこと

幸福を生み出すためのインプットは、あなたの注意を奪い合う多くの刺激だ。

これらの刺激は、あなたがその刺激に向けた注意によって幸福に変わる。

刺激がどう幸福に変わるのか、そのカギを握るのが「注意」だ。

同じ出来事でや環境でも、それがあなたの幸福にいつも同じように影響するとはかぎらない。

それが大きく影響するか、ほとんど影響しない方は、あなたがその出来事や環境にどの程度の注意を向けているかで決まる

すべての条件が同じくふたりの人間が、同じように幸せになるとはかぎらない。それは、インプットを幸福というアウトプットに変換する方法が間違っているからだ。

要するに、「タスクの完了」による「幸せ」を感じたい時、目の前のタスクから「注意」を逸らそうとするものがあるならばそれは全力で「ブロック」しなさい、ということである。

例えば、

「スマホを別の部屋に置く」

「気が散る雑音はヘッドフォンで遮る、あるいは居る環境自体を変える」

「インターネットブラウザのタブは必要なもの以外すべて閉じる」

「ポップアップやアラートはすべて切る」

タスクシュートのような目の前のタスクに集中できるツールを使う」

などは、私が日常的に行っている目の前のタスクから「注意」を逸らさないようにするためのブロックの例だが、その効果の手応えを感じているものだ。

いかに「シングルタスクの状態」をつくり出すかとも言い換えられるだろう。

「大きな幸せ」はほとんどの場合、自分一人では製造できない

「自分の実績を残したい」

「自分の世界観を広めたい」

「誰かに評価されたい」

といった「大きな幸せ」を追い求めることは人間なら当然あっていい。

いずれも製造することができれば、得られる「幸せ」の大きさは想像を絶する。

人生の醍醐味の一つだと言っていいだろう。

しかし、「人間の究極の幸せ」と言われる4つのどれもが、他者を必要としているように、「大きなプラスの変化(による大きな幸せ)」というのはほとんどの場合、自分一人では製造することができない

人間の究極の幸せは4つあります。

「1つ目は、人に愛されること」

「2つ目は、人に褒められること」

「3つ目は、人の役に立つこと」

「4つ目は、人に必要とされること」

私が「初受注」の時に得ることができた「大きな幸せ」もまさに人間の究極の幸せの一つであり、D社の担当者の存在がなければ得ることはできなかった。

「大きなプラスの変化(による大きな幸せ)」を得るためには、他者との関係が必要条件となる以上、そう簡単には製造できないと考えるのが普通だ

むしろ、少しでも関係が噛み合わないようなことがあれば「幸せ」どころか「悩み」が製造されてしまう。

あらゆる悩みは対人関係」というアドラーの言葉もまた真理の一つだろう。

そんな不確実性の塊のような他者とうまく付き合うために、

欲を言えば、他者と一緒に「大きなプラスの変化(による大きな幸せ)」を製造できるように、

自分一人でも製造できる「小さな幸せ」をつくることに怠けず、常にご機嫌で、親切で、寛大で、丁寧にいれるように務めること、が非常に大事だと私は思っている。

個人的な経験則にはなるが、常にいい状態でスタンバイしていてはじめて、大きな幸せに巡り合えるチャンスはやってくる。

「幸せの賞味期限」は短く、「適度に幸せになる」ように設定されている

ポール・ドーランは著書の中で、「幸せは賞味期限が短い」とも述べている。

幸福の研究によって明かになった重要な教訓がある。

それは、生活におけるたくさんの変化がもたらす影響はあっという間に消え失せてしまうということだ。

そこには数々の「適応」が見られる。

-つまり、変化に慣れるということだ。

これはつまり、幸福であっても不幸であってもすぐに消え失せる「賞味期限の短いもの」ということである。

「失恋の痛み」は確かに大きく本物だ。しかし、失恋の痛みが長く続かないことを知っているだけでも多少慰めを受けられる。

他にも、大小のプラスの変化で得た「幸せ」も、その幸せは「長くは続かない」と知っておくことで、次の行動はいくらか取りやすくなるはずだ。

また、自己啓発の専門家たちの多くは、「最大または永続的な幸せを手にすることが人間の目標」だと信じさせようとしている。

ところが、進化的に人間は「適度に幸せになるように設定されている」ため、そのような目標はそもそも達成できるはずもなく、全くもって望ましくもない。

心の底から幸せな人々は大きな目標を達成することはほとんどない

なぜなら、そもそもその必要がないからだ。

(中略)

「適度に幸せな人々」は、15年後にもっとも高い収入を得るようになった。

しかし、いちばん右側の「もっとも幸せな人々」の収入は「不幸せな人々」とほとんど変わらない。

つまり、ある程度の喜びは明かに人生の成功へとつながるが、過度の幸せは経済的な危機につながるということだ。

だからこそ進化は人間が適度に幸せになるように設定した

個人的な話だが、私は以上のような視点を持ち合わせるようになってから、「過度に幸せになろう」と考えることはなくなり、「適度に楽しみながら幸せを取り扱う」ようになった。

「幸せ」は、他者に一目でわかるものであり、その信号は潜在的なパートナーや協力者、または敵として相手を品定めしようとする人々にもはっきりと伝わる。

そういう意味で、きわめて重要な「社会的感情」だと言えるのではないだろうか。

私は少なくともそう認識している。

【著者プロフィール】

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中小企業やローカル事業者の、新たな価値の発見や再定義(ValueDesign)、言語化やデザインによる価値の見える化(ValueCreative)、価値に人が集まる仕組みづくり(ValueMarketing)に精力的に取り組んでいます。

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田中 新吾
現場と文献からの学びを発信してます。 価値の定義(ValueDesign)× 価値の見える化(ValueCreative)× 価値を届けること(ValueMarketing)が主なしごと。 視点をつくるWebメディア「Point of View」の執筆者/管理者。

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