インプットの視点

「自分がどの程度のものまで飲み込むことができるのかを知ること」の重要性について。

私は東大の養老孟司氏の「壁シリーズ」のファンで、今でも時々再読する。

・バカの壁(2003年)

・死の壁(2004年)

・超バカの壁(2006年)

・自分の壁(2014年)

最近は「自分の壁」を流し読みしていたところだ。

この本は、「バカの壁」で400万部を超える驚異的なヒットを記録した養老孟司氏が、「死の壁」「超バカの壁」に続いて発表した「壁シリーズ」4作目だ。

再読するたびに刺さってくる箇所は変わり、私を毎度新たな気持ちにさせてくれる。

今回も刺さるところは違った。

それは、前回1年以上前に流し読みした時は読み飛ばしていた項目だった。

養老氏が

自分の胃袋の強さを知ること

自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのかを知ること

を重要視している、という点である。

「他人のために働く」「状況を背負い込む」というと、不安に思う人もいることでしょう。

そんなことをしていては、自分の人生ではなくなるのではないか。

会社の犠牲、家庭の犠牲になってしまうのではないか。

割を食うのではないか、報われないのではないか。

たしかにそういう危険性はあります。

ここで重要なのは、自分がどこまで飲み込むことができるかを知っておくことです。

つまり、自分の「胃袋」の強さを知っておかなくてはいけません。

この程度までなら消化できるが、これ以上になると無理だ。

その大きさを意識しておくのです。

なぜ今回この部分が特別刺さったのか。

それは、私の中に刺さるに十分な人生経験が蓄積されたからだろう。

「自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのかを知ること」というのは、一種の現状把握

私は今30代半ばの男なのだが、約1年前まで「」にはそこそこ強く、人並み以上には飲める方だと思っていた。

東京は池袋にある「母屋(*1)」というお気に入りのお店で、焼き鳥を食べながら「レモンサワー」を飲むのが大好きだった。

が、今の認識はむしろ真逆だ。

自分は酒に強くない

認識を180°ガラリと変えたのは、約1年前の「健康診断」の結果だった。

30代の前半まで健康診断の結果は、AST、ALT、γGTPの数値が毎回高く「要精密検査」という判断で腹部エコーなどの再検査を受けるのが常だった。

再検査の結果、大きな問題ではないことは分かるのだが長らく気にかかっていたのは間違いない。

そんな私にとって転機となったのは2020年1月1日。

この日から酒を飲むのを一切やめたのだ(*2)。

長い人生なのだから、1年くらいお酒を経ってみるのもアリなのだろう」という感じで断酒をはじめた。

それから約半年が経過し、再び健康診断を受けたところ。

長らく異常が発生していた項目が「劇的な改善」を見せた。

私は心から喫驚した。

自分よりも厖大に酒を飲む人を、浴びるほど見てきたこともあって、お酒がここまで影響しているものだとは思ってもいなかったからだ。

要するに、私の身体は「お酒を飲み込みにくい身体」だった。

飲めるが、飲み込みにくい。

これは私にとって遥かに大きな発見だった。

今はもうお酒を飲まない生活にはすっかり慣れ、続いている。

そして、飲めるが、飲み込みにくい身体であることが分かったからこそ、健康意識は上がり、他の食事についても気を使うようになった。

余計な贅肉もすっかりなくなった。

自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのかを知ること」というのは、一種の「現状把握」だ。

「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」の著者「ハンス・ロスリング」は、「現状をきちんと把握することで、生産的で役に立つ世界の見方をすることができる」と述べている。

思うに、正しい「現状把握」は、私たちが「よりよく生きるために最も役に立つツール」と言っても過言ではないのだろう。

大事なことは、「自分にとって重要な情報」をいかに飲み込むことができるかどうか

そして、「自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのかを知ること」を「飲食」にだけ留める必要はない。

情報」や「環境」など、あらゆる「インプット」に対して応用させて胃袋の現状把握をしていくのがよいだろう。

例えば。

一次産業」は「情報」をたくさん仕入れたからといって、役に立つとは限らないことを分かりやすく教えてくれる。

いかにいろんな人から話を聞いて、情報を蓄積したとしても、産物が取れなければ結局意味がないのだ。

「農業は保守的だ」

よく耳にする話だが、無意味に保守的なのではない。

うっかり「新しい情報」を仕入れて、やり方を変えることで、大事な収穫がなくなってしまっては元も子もない。

以前、農家の方から「作るのは簡単だが、売るのは難しい」という話を聞いたことがある。

しかし、私からすればこれは逆だ。

売るのは簡単だが、作るのは難しい」。

なぜなら、作ることは「年に一回」しかチャンスがないのに対して、売ることは作ること以上にリスク少なくトライアンドエラーを繰り返すことができるからである。

農家はそうそう簡単に現場を変えることはできない。

ゆえに保守的にならざるを得ないところがあるのだ。

「NEWSDIET」の著者「ロルフ・ドベリ」は、

・情報は多いほど人は自信過剰になる

・情報は多いほど注意の貧困を招く

・自分たちにはどうしようもできない情報を受け続けると行動する意欲がなくなる

といったように私たちの「情報摂取における問題点」を指摘する。

「情報」があれば幸せに生きることができるのであれば、私たちはとっくに高い幸福度を得ているはずだ。

だが、これだけ情報は厖大にあるのにそうはなっていない。

人間が幸せに生きるために必要なのは「情報」ではない。

大事なことは「自分にとって重要な情報」をいかに飲み込むことができるかだ。

そのために、様々な「情報」を摂取していく中で「自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのかを知る」ことは不可欠なのではないだろうか。

さまざまな人と付き合うことは「自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのか」を知るために役立つ

そして「自分がどの程度のものまで飲み込むことができるのかを知る」ことは、「人間関係」においても重要だ。

要するに、自分はどのような「」ならインプットとして飲み込むことができるのかを把握するということである。

例えば。

私は「好ましくないと感じる相手の言動」があったときに、

基本的に、それを「」として捉えるのではなく、「修正可能な間違い」だとして捉えるようにしている。

ゆえに相手に「腹を立てる」ことはほとんどない。

むしろ「何を間違えてしまったか」の方に興味が湧く。

そして、これこそが私は「他人を赦す」ことだと考えている。

このように「好ましくないと感じる相手の言動」があったとしても、基本的に今の私はそれを飲み込んでしまえる。

「ブログネタ」という昇華する先があるのも大きいかもしれない。

しかし、もしも相手が「」を振りかざそうとしてきたらそれは飲み込むことはできない。

むしろ、こちらもやり返すというスタンスだ。

思い返せば、人間関係における「自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのか」について、私が若かった頃(10代〜20代前半)は全然分かっていなかった。

社会の中で、常に他人と関わり、状況を背負い込むことをしていく中で、なんとなく分かってきたことだ。

さまざまな人と付き合うことは「自分がどの程度のものまで飲み込むことできるのか」を知るために役立つ

飲食にしても、情報にしても、人にしても、環境にしても、食わずにして自分が飲み込むことができるのかどうかを判断することなどできない。

食わず嫌い」で避けていたら、一生自分の胃袋の強さを知ることはないのだ。

養老氏の言っている「自分の壁」の一つが、今ようやく分かってきた。

Photo by Jerry Zhang on Unsplash

*1 かなりイイ感じの焼き鳥屋さん @母屋・池袋+オマケのもう一軒

*2 「ゲコノミスト」になって、「大学生から社会人」になった時の記憶を思い出した。

【著者プロフィール】

タナカ シンゴ

この間、コロナ発生後、長らく行けていなかった「母屋」に三度目の緊急事態宣言発令前に行ったところすっかり忘れていた「定休日(日曜日)」でした。レバーとささみ、熱々の「鶏スープ」が早く飲みたいです。

理工学部卒業後、東京のマーケティングファームに7年勤務。営業、リサーチ、コンサル、商品開発、集客、マネジメントの現場経験を積みジョブチェンジ。

現在は一人会社との複業で、中小オーナー企業や地方自治体をクライアントに商品開発と集客のプロジェクト運営などを行っています。

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◯noteマガジンで「事業の役に立つネームコレクション」を運営中

○Podcastで白湯専門番組「白湯FM」を配信中

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