どうも、田中新吾(@Shingo_tna)と言います。
巷ではタナシンとも呼ばれています。
いきなりですが下の2つのツイートをぜひ読んでみてください。
『プロフェッショナル』宇多田ヒカル、ものをつくる人のものすごさを見た。
音楽をつくることを「自分のなかの真実をとりだす」「やらないともっと苦しい」「やり続けることで生きられる」と言っていて、そうして自分に向き合ったものが同時にたくさんの人にも届くというのは、創作の光だな。
— 桜林 直子(サクちゃん) (@sac_ring) July 16, 2018
宇多田ヒカルさんのプロフェッショナル、料理しながら観ようと思ってたけど、そんなことはとても無理で、1秒も目を離せない感じの映像だった。それにしても、デビューからもう20年たつのか。ものづくりに対して、この誠実さをずっと続けてきているのがすごすぎるな。
— 加藤 貞顕 (@sadaaki) July 16, 2018
この間の『プロフェッショナル』宇多田ヒカルさん回を観た人の多くが「ものづくりに対して、この誠実さを20年間続けてきているのがすごすぎる」的な感想を言っています。
このように、何かに「誠実」であり続けることは多くの心を動かすのだと思う。
実際に観た僕もあらためて本当にすごい人なんだなと思いました。
実年齢は少し上の先輩なんだけども…..
多くの方がこのように思うのは、過去に誠実であるために必要な「もがき」や「苦しみ」から逃げた経験がみんなあるから。
だから、人が誠実でありつづけることは、かなり難しいことなんだと思う。そのことをみんな分かっている。
他にも、毎日のようにメディアが取り上げる、日常化した「分かりやすい不信」を見ていても「誠実(偽りがない)であること」がいかに価値が高いかを思い知らされます。
誠実でありつづけることが難しく、そのことが日常化してしまったこの社会においては「誠実でありつづけること」の価値が半端なく大きい。だから、誠実でありつづけようとする「努力」自体にも大きな価値があると思うんです。
今この時代に必要とされる人物像
「誠実」
これはこの時代を生きている個人、法人にとって未来を生きるための超重要ワードだと思っています。
これもふまえ、現時点で僕が思う「今この時代に必要とされる人物像」について書いておきたいと思います。
個人的な見解なので絶対ではありません。
誠実でありつづける努力を惜しまず、
正しい倫理観を備え、
キラリと光るセンスを持つために自分を磨き、
勉強や研究をやめない飽くなき好奇心を持っている人は、
AIよりも価値が高く、
まだまだ社会から必要とされる。
しかも、それでいて時代の波にも飲まれにくい。
自分自身の話をすると、なるべくすべての営みがこの人物像に向かうように努力をしている。そんな感覚です。
でも、やっぱり「誠実であること」が一番本当に難しい。
宇多田ヒカルさんが「ものづくり」に対して誠実であるように、何か特定のものに対しての誠実さとして考えた方がきっといいのだと思います。
例えば、ものづくりもそうだし、自分の行動や発言でもいいし、身近な誰かでもいいし、誠実とはそういうものだと思うんです。何か漠然としたものというよりも、対象に向けてのまっすぐな気持ち。
この他の「倫理観」「センス」「好奇心」については、また別の機会に詳細を書いてみようと思っています。
さいごに
「もがいたり」「苦しんだり」することについて思うことは、この記事にも別の観点から書いているので読んでみてください。
なぜ、いいねもリツイートもまったくついていないつぶやきの方が納得感が高いのか?
それは「もがいた」からだと思うんです。
このつぶやきはポッと思いついてでてきたものをその瞬間、言葉にして発信したわけではなく、長い時間かけて考えてきたことがようやくまとまったので、つぶやきました。
「孤独と孤立と孤高と、全部ひとりを表す言葉だけどどこかが違う」というように数ヶ月前から改めて考えるようになり、整理しても全然しっくりこなかったり、惜しいところまでいったり、また考えはじめに戻ったり、そんなことを繰り返しながら自分がどの「ひとり」なのかを考えてきたんです。「ひとり」を表す言葉に対して「もがいてきた」と言えるでしょう。
次回の更新もお楽しみに!それではまた。