コミュニケーション

頼み事は、「やたらと謝りながらしてはいけない」という話。

以前、「人を信頼することが得意な人」についての記事を書いた。

複数の「安心」できる依存先を持つためには、山岸さんのいう関係外部の人間を「信頼」する能力が必要不可欠だ。

この能力が高ければ高いほど、「安心」に依存している人よりも、外の世界に出ていける機会を増やすことができる

外の世界で多くの人や事象と出会い、その分の「経験」を積める。

この結果として「安心」できる依存先が増え「自立」もする。

人を信頼することが得意な人ほど成長する理由が、ようやく分かった。

記事に書いた通り、私は「信頼することが得意な人」ほど成長していくと考えている。

これはより具体的に言えば「誰かに頼み事ができる人」だ。

手を貸してくれる人、足りない部分を補ってくれる人、代わりに何かをしてくれる人。頼み事ができれば、こういう人たちのサポートをうまく得ることができる。

だから、頼み事が苦手な人よりも断然成長する。

では、頼み事ができれば「頼み方」は何だっていいのだろうか?

私はそうは思わない。

やたらと謝りながら頼み事をされる

私はこういう頼まれ方がとても苦手だ。

どんないい内容であれ、頼まれてもあまり嬉しいと思わない。

例えばこんな具合だ。

「申し訳ないんだけど、この仕事をお願いしたい。本当はこんな事は頼みたくなかったの。あなたが忙しいのはよく知っているし、自分でできればよかったんだけど、どうしても力がいるの。本当にごめんなさい」

こんな風にお願いされると、どうも助ける気が失せてしまう

結果的に相手の頼みを引き受けはするが、さっさと片付けてしまおうという気持ちになり、やっつけ仕事になる

熱も入らなければ、楽しくもならない

これはマーケティング会社にいた時の社内外のやりとりでも、程度の差はあれど、頻繁に感じていたことでもある。

つい先日もこれを感じることがあった。

先方:「お忙しい中、本当に申し訳ないです。検討する時間を考えるとやはりそのくらいにはあった方がいいですね。

ギリギリというわけにはいかないので。やはり○日でお願いします。ご無理を言って申し訳ないです。すみませんがよろしくお願いいたします。」

私:「了解です(いやいやいやいや、そんなに謝らなくても)」

これもやはり「嬉しいとは思えない頼み事」だった。

本来、人から頼られるのは「とても嬉しい」はず。

なのになぜ、頼み事によって嬉しいと思うものとそうでないものがあるのか?

これに関してはずっと疑問が解けないままだった。

人は「助けを強いられる」のを嫌がってしまう

ところが最近になってこのモヤモヤがようやく晴れた。

原因は、コロンビア大学心理学博士 ハイディ・グラント・ハルバーソンが言う、「人は助けを強いられるのを嫌がる」という性質にあった。

助けを求めることには少しばかり厄介な側面があるのです。

人は生まれながらにして誰かを助けたがっているのと同時に、助けを強いられるのをとても嫌がります

(中略)

相手は「コントロールされている」と思った瞬間、相手を助けようとするモチベーションを大きく下げてしまうのです。

要するに、

基本的に、人は誰かを助けたいと思っている

しかし、「助けを強いられている(=コントロールされている)」と思った瞬間、相手を助けようとするモチベーションを大きく下げてしまう

ということだ。

つまり、私が「やたらと謝りながら頼み事をされる」のがあまり嬉しくないと感じていたのは、

進んでそうしたいからではなく、しなければならないからする」という「助けることを強いられている(コントロールされている)感覚」が私の中に生じていたからだったのだ。

この、人から助けを求められたとき、「助けを強いられている(コントロールされている)と感じると、それを嫌がる」という経験は、誰もが一度はあるのではないだろうか?

例えば。

道を歩いていて少し先に慈善活動らしきことをしている人がいるのを見て、通りを横切って反対側の歩道に移動してしまった。

お店で品定めしているときに親切そうな店員が近づいてきたら、何かを買わされてしまうのが嫌で遠ざけてしまった。

こんな具合だ。

思うに、「脅威」「監視」「期限」「プレッシャー」などにも、助けを強いられている(コントロールされている)と感じさせる効果がある。

これらによって、私たちは「自分の意思で自由にその行動をしているように感じにくくなってしまう」ために、助けを強いられそうな(コントロールされそうな)状況を嫌がるのだ。

ハイディ・グラントは、「やたらと謝りながら頼み事をする」ことを、ダメな頼み方の典型例としているが、その他の例も参考になる。

実際、省みると思い当たるところはあるはずだ。

共感に頼りすぎる(例えば、悲しい目をした犬や猫を使って寄付を募ろうとする)

言い訳をする(例えば、普段は誰かに助けを求めたりはしないんだがなどと言う)

頼み事の楽しさを強調する(例えば、きっと大好きになる。楽しいに決まっていると頼み事を引き受けることのメリットを相手に強調する)

借りがある事を思い出させる(例えば、私、あなたのよく泣く子供のベビーシッターをした時のこと覚えている?などと言う)

いずれも、相手に助けを強いる(コントロールする)ことになるため、相手の「助けようとするモチベーション」を下げてしまう可能性がある。

よって、頼み事があまりうまくいかない

このように、私たちはよほど意識していないとついつい意図せず、上のような頼み方で相手に「助けを強いられている(コントロールされている)」と感じさせてしまう。

では、相手に助けることを強いられていると思わせずに、助けを求めるためにはどうしたらいいのか?

これに対して、ハイディ・グラントは、

「仲間意識」「自尊心」「有効性」の3つの「人を動かす力」を用いることを推奨している。

これも学びが多かったので紹介しておきたい。

重要なことは「仲間意識」「自尊心」「有効性」の3つ

まず一つ目は「仲間意識」だ。

大前提として、人間には「同じ部族の仲間を助けようとする本能がある」という。

これがDNAにしっかりと書き込まれているのだ。

例えば、

私たちは出身大学が同じだと知ると、自分が所属するコミュニティのメンバーに対して協力的に振る舞おうとする。

こんな具合で、人は自分の所属集団に対して「ひいき」をする。

自分の所属集団に対するこうしたひいきは、実力主義が前提とする世界ではさまざまな不公平や偏見につながりかねません。

しかし、集団への帰属意識の仕組みを理解することで、この不公平な側面が現実のものにならないように気をつけながら、自分が所属する集団の仲間意識を意図的に強め、内集団の人たちから助けを得やすくすることができます

この「ひいき」を上手に使うことで、相手に助けることを強いられている(コントロールされている)と思わせずに、助けを求めることができる、ということだ。

これは、アレックス・ペンドラントの言う「人は仲間の言うことは信用するが、他人は信用しない」にもつながってくる。

人間関係において「仲間意識を得ること」はウルトラ重要だ。

多くの人々が政治家や弁護士一般を不審に思う一方で、個人的に知っている政治家や弁護士個人に対しては信頼感を抱くのは、それが理由である。

これは、集団間に差別意識をもたらすものであり、ときには集団間の抗争にまで発展する。

次に「自尊心」。

例えば、

「親切なことをしなさない」ではなく「親切な人になりなさい」と言われた時の方が、片付けをするようになる。

「あなたにとって投票することはどれくらい重要ですか」ではなく、「あなたにとって投票者であることはどれくらい重要ですか」と尋ねられた人たちの方が投票率が上がる。

単に慈善事業への寄付を求められた場合よりも「寛大な寄付者になりませんか?」と尋ねられたときのほうが、寄付率は上がる。

いずれも「自分は重要な人間だ」という「自尊心」が刺激されたことによるものだ。

このような形で、「相手の自尊心をうまく刺激する」ことができると、助けることを強いられている(コントロールされている)と思わせずに、助けを求めることができる。

具体的には「他の誰にもできない何かを相手に与える」ことだという。

他の誰にもできない何かを相手に与えることは、自尊心を多いに高めるのです。

ですから、頼み事をするときは、「これはあなたにしかできないことです。だからぜひお願いしたい」と相手の自尊心をくすぐるような伝え方をすると効果的なのです。

前職だった頃、上司から「誰かに何かを頼みたいことがあるときは、「〇〇さんだからこれを頼みたい」と名前をはっきり伝えるとOKをもらえる確率が上がるよ」と教えてもらったことがあった。

今思うと、これも「自尊心を刺激する方法」の一つだったのだ。

また、レス・ギブリンは著書「人望が集まる考え方」の中で、「人間関係の極意とは、お互いの自尊心を満たすようなやり方で相手と関わることだ」と述べている。

大切なのは、他人とうまくやっていきながら、満足感を得ると同時に相手の自尊心を満たす方法を見つけることである。

人間関係の極意とは、お互いの自尊心を満たすようなやり方で相手と関わることだ。これこそが人とかかわって本当の成功と幸福を手に入れる唯一の方法である。

相手の「自尊心」を大事にすることを無くして、人間関係はうまくいかない。

つまりはそういうことなのだ。

最後は「有効性」である。

助けを求めるとき、「仲間意識」と「自尊心」の両方が同時にある必要ないという。つまり、どちらか一方を相手に感じさせることができればうまくいく。

ところが、「有効性」に関しては、必ず存在しなければうまくいかないとハイディ・グラントは述べている。

有効性とは「助けた効果に対する手応え」である。

起業家は、「幸せ」だから立ち上げたばかりの会社を軌道に乗せるために一週間に100時間も働くわけではありません。

オリンピックレベルのアスリートは、友達に囲まれた楽しい暮らしを諦めてスポーツ世界でパーフォーマンスの限界を追求することを「楽しい」と思っていません。

毎晩寝る暇もなく赤ん坊の世話をする母親も、そのことに「快楽」を覚えているわけではありません。

しかし、これらの人々は、自分たちの行動が現実世界に影響を及ぼしているという手応えを感じているからこそ、それを続けているのです。

有効性は私たちを行動に向かわせる強烈な力を秘めています

つまり「自分はどれだけ影響を与えたか」を人は思っている以上に重要視しているということだ。

そして、人を助けることにおいてもこの「有効性」が大きな力になる。

例えば。

困っている人の立場に身を置いて共感を覚えると、自分がその人を助けることで何らかのフィードバックが得られると想像しやすいために、実際に行動を起こす可能性が高まる。

私たちが見ず知らずの人に対してよりも、個人的に知っている人のほうをより助けようとするのも、助ける側が、助けたことで生じる結果を想像しやすいため。

こんな具合にだ。

そして、ハイディ・グラントは、助ける側の「有効性」を高めるために、したの3つの考え方をすすめている。

① 求めている助けがどんなもので、それがどんな結果をもたらすかを、事前に明確に伝える

曖昧で遠回しな頼み方をされると、自分が力を貸すことで何が起こり、どんな影響が生じるのかが分からないため、明確さは大事。

② フォローアップする(事前にそれを伝えておく)

助けた相手がその後でどうなったのかが分からないことは、気分のいいものではない。だから、どんな変化が起こったかを説明することは大切。依頼時にフォローアップすることを伝えておくとなお良い。

③ できれば、相手に好きな方法を選ばせる

頼み事ははっきりと具体的に伝える。しかし、例えこちらが望んでいた形でなくても相手の提案は受け入れるべき。柔軟に助けを与えることを相手が望む場合もある。

以上のことを意識することで、相手に助けることを強いられている(コントロールされている)と思わせずに、助けを求めることができる確率をあげることができる

ということだ。

思うに、突き詰めると私たちのコミュニケーションの核心は、頼み、頼まれるという関係にある

その中で「頼み方」というのは、一見すると小さなことのように見えるが、実は私たちの社会との関わりのなかでとても大きな役割を担っているのだろう。

だからこそ、頼み方一つで見渡す景色は大きく変わる。

以上、何かの参考になれば。

Photo by ThisisEngineering RAEng on Unsplash

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田中 新吾
1986年生まれ。元マーケター。現在は、中小企業のコミュニケーションのクオリティや導線をデザインする「コミュニケーション・ディレクター」が主戦場。webメディア『Point of View』の執筆者/管理人。白湯を愛するサユラー。

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